<内容>
経営学者の入山章栄氏と大木清弘氏との対談記事。
肉体労働を要する現場で働く労働者(ブルーカラー)と、オフィスで頭脳労働を行うオフィスワーカー(ホワイトカラー)の両方の要素を持つ「ライトブルー人材」という概念を提唱し、その価値を再評価している大木氏。
本社が良かれと思ってなした意思決定が、現場に意図せぬ不利益をもたらすことがあることを研究者として明らかにし、意思決定層に知ってほしいと考え、研究を行ってるとのこと。
現場に入ることで得られた気付き、現場から出てきた仮説を検証したいと考え、データ分析を行っても、思ったような分析結果が出ないことがあるとのこと。
「現場で建てた仮説が、データ分析をすると、思ったような結果にならない」場合、入山氏は仮説が間違っているか、データ分析のやり方が間違っているかしかない、と助言するとのこと。「仮説が間違っていた」という「結果」も、研究結果として価値がある、との考えを両氏は共有した上で、大木氏はいろんな研究方法があることに言及している。
<評者のコメント>
現場にいると、データにできるモノやコトには限りがあること、つまり、数値や言語にできない「何か」があることを感じます。それらは、数値化、言語化することで他人に共有、説明できるものもありますが、現時点では現実問題としてデータは取れないと感じるものもあります。 「データ分析をすると、仮説の正しさが立証できない」のは、仮説が間違っている、データ分析の仕方が間違っているというのはその通りだと思いますが、「データ分析の仕方が間違っている」というときには、そもそも「分析すべきデータが取れていないのに、データ分析をしている」ということもあるように考えます。
世の中のすべてが数値や言語や記号といった、客観的に伝達できる「情報」にできるわけではない。
入山さんは、どちらかというとホワイトカラー寄りで「現場」の「データや言語にできない何か」への興味というか検出力が低い一方、大木さんは「データや言語にできない何か」を検知する現場のブルーカラーの要素を持つ研究者さんかも、と感じた記事でした。
<元記事>https://dhbr.diamond.jp/articles/-/8456