<概要> 日本は今後数十年、人口が減っていく「人口減少社会」になることは避けられないとの立場で、人口が減っても一人一人が生み出す価値=生産性を高くできればよい、というお話です。 <要点>
・今後数十年間、日本は人口減少し続ける 「移民を受け入れればよい」というが、移民受け入れで今の人口を保つなら、3000万人を超える移民の受け入れが必要。そんな数の移民を受け入れる覚悟はありますか?覚悟があったとして、世界中で労働力の取り合いになる中、そんな数の移民が日本に来るでしょうか?
・「GDPの大きさ」と「生産性」は違う
GDPとは「国全体で創出した(金銭として計算できる)価値」であり、生産性とは「働く人一人当たりが創出した価値」のこと。人口が多い国であれば、GDPが大きくなるのは当然。世界第11位の人口を抱える日本はGDPこそ大きい(世界第3位)ものの、生産性は低く(世界第29位)、生産性は向上していない(生産性向上率は世界126位!)
・日本は「奇跡的な発展を遂げた特別な国」ではない
第2次世界大戦後の日本が経済的に急成長したのは、日本が「特別に優れていた」からではなく、人口が激増したから。人口増加に伴って国内で物資その他の需要が激増するという「内需拡大」があったから。
(評者注:激増した国内需要に対し「効率よく」生産するだけ、技術力や組織力を発展させた努力は評価されてもいいと感じます)
・労働者は優れている。経営者が奇跡のように無能
日本の労働者は優れており、高い品質の製品・サービスを生み出せる。これを「低価格」でしか売れないような経営をしている経営者が無能すぎるため、品質=労働者の努力に見合った利益=生産性を上げられていない。
(評者注:とあるテレビ番組の中で、経営者が製造原価の上昇に見合った値上げを顧客にお願いできない、と言っていました。これこそ、まさに経営者の怠慢、無能を示す例で。。。)
・製造業の生産性は高い。生産性が低いのはサービス業
製造業のプロダクトは輸出され国際競争にさらされるし、製造業では「感覚」で製品製造・経営できないため、生産性が高い。生産性が低いのは、海外との競争が少なく、カタチがない=プロダクト同士の客観的な比較が難しいサービスを提供しているサービス業である。 (評者注:金融や経営サービスなどは、国ごとの制度や文化風土への理解や適応が必要であり、国際競争にさらされてない。ゆえに、国内では偉そうにしてるけれど、国際競争力なんてゼロじゃないか、というのはよく思います)
・消費者/本当のニーズを顧みない「高品質」
日本で売られている「高品質」な製品やサービスは、提供側の自己満足の「高品質」でしかない。お客が求めていない=お客がおカネを払わない機能やサービスを盛り込んだところで、お客はその機能やサービスには価値を認めない=おカネを払わない。ゆえに、お客が欲しがっているかどうかをお客に決めずに、提供側が勝手に「客が欲しがっている」と決めつけた機能などを搭載した製品は、その機能を盛り込むに値した値段で売れない。
・事実から目を背けた感情的な議論は止めよう
日本人は「人口減少を移民で賄うことは難しい」「顧客が求めていない価値である」といった「事実」と向き合わず、感覚、感情で議論する傾向がある。
(評者注:これは、山本七平『日本はなぜ敗れるのか』の中で、第2次世界大戦中も戦後も同様であったことが書かれています)
<評者のコメント>
著者のアトキンソン氏に対してはいろんな評価がありますが、「顧客が求めているかどうかを顧客に聞かずに勝手に「価値付け」し、その「価値づけ」に見合った価格で売ることができない経営者は退場させよ」という主張はまったくもってごもっとも、、、と思いました。 過剰とも思える労働者保護が課され、働く人の9割がサラリーマン化し、独立起業する人が少ない日本で、経営者ばかりに高い要求をするのもいかがなものかとは思いますが、雇用している者の能力を発揮させられず低い賃金で雇い雇われ続けられ、雇われている側も雇う側もストレスを感じているような状況は、ある程度、外部から強制終了されられる必要はあるかなと。