私は四半世紀、特許の仕事に従事してきましたが、特許を取得しようとする人ですら多くの人が「特許は役に立つのか」という疑問を抱いていると感じます。特許が役に立つかどうかは端的に言えば「特許の“つくり”と“使い方”次第」であり、コンピューターが役に立つかどうかと似ていて、コンピューターにも特許にも役に立ちやすい環境とそうでない環境があります。
簡単に言うと、コンピューターでも特許でも、持ち主(の権利)が重んじられ、使用される場面が多い環境では役に立ちやすく、そうでない環境では役に立ちづらくなります。私見では、特許が最も役に立ちやすい環境は1980年代後半から現在に至る米国であり、同じ時期の日本は現在を含めて特許は役に立ちにくい環境だと考えています。
日本は1990年以降、米国の特許政策を採り入れてきましたが、日本と米国との環境の違いにはあまり注意が向けられていないように私は感じています。そもそも米国は憲法で発明者保護が謳われるほどに特許の発明者を尊びます。また、米国は「訴訟社会」と言われますがそれは日本に比べて訴訟を起こすハードルが低く、訴訟で勝った場合のメリットも大きい(米国の場合、賠償額が3倍になる制度があります)制度になっているためです。
(出典)知財紛争処理に関する基礎資料(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/kensho_hyoka_kikaku/tf_chiizai/dai2/sankousiryou05.pdf)
上の表は、賠償額が高額となった日米の特許訴訟案件を紹介していますが、賠償額は文字通りのケタ(2桁)違いです。また、被告(訴えられた側)は私でも知っている大企業が多いのに対して、原告(訴えた権利者側)の多くは被告ほど著名な企業ではありません。
米国において、特許権者が莫大な賠償金を得られるようになったのは1980年代後半の発明奨励政策(プロパテント政策)の結果であり、2000年代後半以降、行き過ぎが問題とされ見直しが進んでいるものの、「訴訟がしやすい」「3倍賠償制度で一攫千金の可能性がある」ことに変わりはありません。
このため米国では名もなき小さな企業が大きな企業を訴えて大金を得る可能性があり、1980年代後半から今に至るまで名もなき弁護士や弁理士、小さな企業が一獲千金を狙ってさまざまなやり方で特許を「使って」来た歴史があります。特に、新しい技術を用いた斬新な商品やサービスが新たな市場を形成する場合、新しい商品やサービスに用いられている技術に特許が取得されていれば、「特許を使う」機会も多くなります。
なお、昨今の商品やサービスには多数の新たな技術や特許が用いられており、中には「それほどでもない」技術について取得された「それほどでもない特許」も存在します。それでも、「それほどでもない特許」が市場を席巻している「すごい商品・サービス」に用いられていれば、「それほどでもない特許」の持ち主は、米国では日本より簡単に、より高い賠償金を、より高い確率で(権利者勝訴率は1990年代後半から2000年代で日本23%、米国は36%)狙うことができた歴史とそれを支えた風土や制度があります。
また別記事で述べた通り、米国は日本に比べて企業買収(M&A)がしやすい文化風土や制度であるため、「すごい商品・サービス」を売って稼いでいる企業からすれば、「特にすごくもない特許」を振りかざす企業や特許は買ってしまった方が早い、安い、(事業戦略として)うまい、となります。
日本と米国のどちらが良いかはそれぞれ一長一短ですので、米国で特許が「役に立ちやすく」、日本では「役に立ちにくい」ことは良いとも悪いとも言えません。しかし、米国で特許訴訟により小さな企業が大きな企業から巨額の賠償金を得る背景には、米国と日本との文化風土や制度などの環境の違いがあり、米国の成功例をお手本にするためには日本と米国の違いを踏まえた工夫が必要でしょう。
そもそも米国が独占を推奨したり発明者を大切にするのは、米国が「エンクロージャー」を経験した英国民を中心とした欧州からの移民によって「開拓」された国であることも関係しているように思います。すなわち米国では「荒野を開拓した者が富を独占する」ことを是とする価値観がありますが、日本を含む米国以外の国では「開拓者が開拓地を囲い込んで富を独占する」ことは必ずしも是とされません。
国や地域にはその国や地域に特有の自然環境に適応するように営まれてきた人々の暮らしや価値観が染みついています。物資の流通や人の移動、経済がグローバル化する中、政策や企業の戦略を立案する人々はユニバーサルな思考や価値観を共有して国や地域を超えて交流する一方で、ある地域特有の暮らし方やそれを支える文化風土や仕組みなどに疎くなってしまうことがあります。
作家のカズオ・イシグロさんが東洋経済オンラインのインタビューで「俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。 私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。」と述べています。
私自身、東京で特許の仕事をしていた頃は、所属や業界を超えて米国や首都圏の新事業創造や特許活用を論じる「横の交流」には積極的でした。一方で、自分が暮らす地域の人たちとの「縦の交流」は少ない暮らしをしていました。
しかし、東京を離れて大阪で暮らす中で、東京で働いていた時には感知できなかった「日本の文化風土」に触れるようになったことで、国や地域の人々に無意識に浸み込んでいる価値観や行動様式に注意が行くようになりました。そして、国や地域の文化風土の違いを考慮しない政策や戦略は功を奏さないという「環境適応性」という点から、政策や事業戦略の適合性を考えたいと考えるようになりました。
このカテゴリーの掲載記事は、こうした背景から書いており、これからも国や地域、業界の違いといった「環境の違い」を考慮しながら、事業や経営について検討していきたいと考えています。
2024/1/14記事掲載