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特許全史

はじめに

 

特許は、近代以前から主に欧州で広がっていた「専売権」に起源があるといわれています。

ただし専売権は税収確保を目的として徴税者の権限の範囲で設定されたものです。近代特許制度は創造促進を目的としており、その目的を持った世界初の成文特許法はヴェネツィア共和国で1474年3月19日に制定されたといわれています。

 

ここでは、このヴェネツィア特許法に始まる特許制度の歴史を6期に分けて解説します。

1期は、ヴェネツィア特許法が制定された15世紀後半からモノづくりの機械化が始まった18世紀半ばまで

この時期、ヴェネツィアでは工芸技術が発達し経済発展がみられ、 17世紀の初めには英国でも特許制度が制定されました。しかし、特許制度はさして浸透せず、経済社会に与えた影響はほとんどないといってよい状態でした。

 

2期は、英国で産業革命が本格化した18世紀後半以降から世界大恐慌に陥った1930年代以前まで

この時期は、英国・米国を中心とした欧米各国で、モノづくりを機械化したり自然界に存在しない物質を製造したりする化学工業といった工業技術が飛躍的な発展を遂げました。英国で誕生したワットの蒸気機関の発明をはじめとする大発明にはおしなべて特許が取得され、特許制度は発明家に利用されてこの時代の工業技術の飛躍的発展に貢献しました。

特に18世紀後半に特許法を施行した米国では、1860年に大統領に就任したアブラハム・リンカーンが特許制度の活用により発明の創造を促進することに注力しました。その結果、米国では「第1次プロパテント時代」と呼ばれる、特許重視の時代が到来し、発明家や事業家が特許制度を利用して様々な発明を創造、事業化して産業が発達しました。

 

3期は、1930年代から情報化が始まる1980年代まで

1929年、米国でバブル経済が崩壊した暗黒の木曜日に始まる世界恐慌は欧米各国は深刻な不況に陥りました。不況からの打開策が講じられる中、大企業による市場の寡占が問題視され、特定企業による市場の独占を排除すべしとの考え方が浸透していきました。特許制度は、特定企業による市場独占を肯定、推進する制度として敵視され、特許権による市場独占の効果が弱い「アンチパテント時代」となりました。

日本は第2次世界大戦後、工業製品への旺盛な需要を満たすため工業製品の製造が活発化して製造業が発達しました。都市化の進行に伴い製造業に吸収された労働者は教育レベルが高く、工業製品を製造する現場で日常的に様々な創意工夫が創出されました。大手企業はこうした創意工夫の多くを特許出願しました。しかし企業が右肩上がりで成長する時代にあって特許権を市場争奪に用いたりそれ自身を収益化する必要性は乏しく、アンチパテントの時代、特許権の独占性や収益性が発揮される事件が発生して注目されることもありませんでした。

こうした状況で特許制度は社外に対して活用するというより創意工夫を裏付け、発明を創作した従業員の努力を認める報奨制度として機能しました。

 

4期は、1980年代から1990年代まで。

1982年、米国はレーガン大統領のもとでプロパテント政策に転じました。これにより、米国でほぼ半世紀に及んだアンチプロパテント時代が終わり、「第2次プロパテント時代に入りました。この時期、戦後復興の努力が結実した日本企業に生産性で劣るようなった米国企業がプロパテント政策を取る米国で日本企業を被告とする特許権侵害訴訟を提起する事例が相次ぎました。米国での特許権侵害訴訟の多くは特許権者が勝利し、敗訴した日本企業は数億円から100億円を超える巨額の損害賠償金の支払いや事業撤退を余儀なくされました。

このように米国において米国企業が日本企業を相手に訴訟で巨費を得たり、競合を市場から撤退させるために特許権を積極的に活用する一方、日本企業は膨大な特許権を持ちつつもそうした特許権を特許権侵害訴訟の有効な対抗手段や防衛手段とすることができませんでした。

 

5期は、1990年代から2000年代まで。

4期は、米国において特許権が「カネになる」ことが知られるようになった時代です。ディスカバリー制度3倍賠償という特殊な制度がある米国では、訴訟費用も損害賠償額も高額になることから、プロパテント政策により特許権侵害訴訟を「活用」することで特許権は実態以上の価値を生むようになりました。

金融ビジネスが発達した米国でそのことが1980年代後半から広く知られるようになった結果、5期では特許権を「カネを生む可能性のある金融商品」のように扱って利益を得る動きがでてきました。米国では、特許技術を用いた事業を営む企業のみならず、一攫千金を狙った特許ビジネスに用いる目的でも特許権が必要とされるようになった結果、特許出願件数が倍増しました。

日本では膨大な特許権が米国での特許権侵害訴訟の有効な防衛手段とならず、また米国企業のように収益に結びつけることや競合排除に活用することができなかったことへの問題が認識され、特許権を取得する意義が問われ始めました。しかしこの時期、日本はバブル経済崩壊後の経済の低迷が続き、企業はリストラなどの経費削減に追われ、特許権の活用についての問題を広く深く考える余裕はありませんでした。

 

6期は、2001年以降、現在。

この時期に入り、米国では特許された発明を事業化せず権利を保有するだけの特許権者NPE)が特許発明を事業化している事業者にライセンスの支払いを要求したり特許権侵害訴訟を提起したりして巨額の賠償金を得たりする特許ビジネスが成長しました。

米国ではNPEの組織化、多様化が進み、NPEによる権利「活用」が活発化する一方、特許発明を事業化して利益を得ている事業者を中心に「プロパテント」の弊害が認識されるようになってきました。

2006年、NPEによる権利行使の弊害を抑制する判決が下され、米国は現在、プロパテント政策を維持しつつも、質の悪い特許の濫立を防止したりNPEによる権利行使を抑制したりするといった施策が打たれています。

日本では2002年、小泉純一総首相のもとで「知財立国」が宣言され、プロパテント政策が採用されました。しかし米国との訴訟文化、制度、手続の違いなどから、日本では特許権は巨費をもたらさず、米国のような特許ビジネスの興隆はみられません

それでも4期から続く経済の低迷とプロパテントの中で日本企業は特許権の活用策を探り、標準化団体やパテントプールを形成してライセンス料を得たり新規参入者への参入障壁としています。

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