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4期

 

世界情勢

1980年代は中国やソ連といった共産主義国(東側諸国)で市場経済を取り入れる改革が行われ共産主義体制が衰退する一方、西側諸国の盟主であった米国は貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に苦しみます。この時代、東西大国の経済が低迷する中、共産主義国の市場経済への移行と冷戦の終結で世界経済はグローバル化へと向かい始めます。

ただし現在では「世界の工場」となった中国や韓国、インドといった新興国の工業技術はこの時期はまだ未熟で、日本は工業製品の製造に関する技術力に秀でていました。このため東西大国の経済が混乱する中で日本は「Japan as No.1」と称される競争力、経済力を誇り、経済大国として経済の絶頂期を迎えます。

米国は貿易赤字の大半を占める対日貿易赤字の解消を目指し、様々な政策を講じます。

 

特許制度に関する動向

米国が貿易赤字解消のために採った政策の一つがプロパテント政策です。1980年代の米国プロパテント政策は、リンカーン大統領の登場により1860年代に始まり1930年に転換された第1次プロパテント政策に対し、第2次プロパテント政策と呼ばれます。第2次プロパテント政策により、①特許制度による保護対象が拡大され、②特許権侵害訴訟で特許権者が勝訴する確率が高まりました。

このように1980年代、米国では特許制度に大きな変革が起こりますが、日本を含む米国以外の国々では特許制度は注目を集めるには至りません。この時代、特許を含む知的財産制度を国際的に議論する場面で討議されていたのは特許出願の方式を統一するといった手続面の話題であり、特許権の効力や保護対象といった特許の中身が国際間での中心的話題になるのはもう少し後の時代です。

 

 

事例

この時代を特徴付ける出来事として3件の米国の大型特許権侵害訴訟を紹介します。

まず1つ目はポラロイド(米)vsコダック(米)。1976年、ポラロイド社が開発し、製造販売してきたインストタントカメラ市場にコダック社が参入すると同時に特許権者であるポラロイド社が市場参入者であるコダック社を特許権侵害で訴えて始まった特許権侵害訴訟です。「世紀の特許戦争」と呼ばれ注目を集める中、約10年を経た1985年に確定した判決で特許権者ポラロイド社が勝訴。敗訴したコダック社には6億ドルの損害賠償金の支払いとインスタントカメラの製造販売の停止が命じられました。1985年のこの判決はアンチパテントの時代からプロパテントの時代になったことを象徴する事件として記憶されます。

2つ目は1986年にテキサスインスツルメント(以下TI:米)が日本企業8社と韓国企業1社を特許権侵害で訴えたDRAM訴訟。この訴訟は敗訴による製造販売差し止めを恐れる日本企業が判決を待たず、TIに譲歩する形で和解で終了しました。DRAM訴訟は、 1985年のポラロイドvsコダック判決を受けて米国企業がプロパテント政策のもとで特許権の積極的な「活用」を進める姿勢に転じたことを示す事例と位置づけられます。

そして3つ目は1987年に始まり1992年に終結したハネウェル(米)vsミノルタ(日)。ハネウェルは後続ながら優れたオートフォーカス技術で米国市場を席巻したミノルタを特許権侵害で訴えました。1992年の判決は、特許権者ハネウェルの勝訴。ミノルタは約1億ドルの損害賠償金の支払いを命じられました。勝訴したハネウェルは、キヤノン、ニコン、オリンパス、ペンタックスといった日本企業に特許使用料を支払うよう要求し、多額の特許使用料(ライセンス料)を得ました。

 

使われ方・果たした役割

この時期の特許権侵害訴訟は、特許された発明を製品化して製造販売する事業を営む事業会社同士の争いです。1980年代に採用された米国の第2次プロパテント政策は、基本発明を創出した米国企業が、基本発明を導入・改良し、高質な製品を製造販売して基本発明の創出者である米国企業を凌ぐ日本企業に対抗する手段と位置づけられていました。

前述した事例に示すように1980年代、特許権は米国プロパテントの目的を見事に果たし、特許権者にとって特許権は事業上のライバルを市場から撤退させたり、その収益を奪って競争力を低下させたりすることができる、事業で競争優位に立つための有効なツールとして機能しました。

 

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