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5期

 

 

世界情勢

1990年代、ソ連邦の崩壊(1991年)をはじめとしユーラシア大陸の共産主義体制が相次いで崩壊しました。共産主義体制が崩壊した東側諸国では民族紛争が多発し、経済も混乱しました。ただしソ連と並ぶ共産主義大国であった中国では政治的には共産主義体制を維持しつつ市場経済を取り入れて経済成長を軌道に乗せることに成功しました。アジア地域では中国以外にもタイ、マレーシア、インドネシアっといった東南アジア諸国で経済が成長しました。

このように新興国で工業が発展する中、米国では金融と情報処理技術(IT)の分野で革新が起こります

1981年、米国で提唱されたネットワークの相互接続(インターネット化)は、1990年代半ば以降、先進国で爆発的に普及します。またインターネットの普及に伴い、パーソナルコンピュータ(PC)も1990年代半ば以降、先進国で急激に普及します。

米国では金融分野に数学・物理分野の科学者の知識が流入し、金融工学が発展します。金融工学の発展により、様々な金融派生商品(デリバティブ)や、その取引といった複雑な仕組みが「開発」されました。高度で複雑化した金融ビジネスの知識に長けた米国の投資家の一部(ヘッジファンド)は1990年代、アジアやロシアなど世界各地で通貨危機を引き起こします。通貨危機の中でヘッジファンドが得た利益は米国に流入し、不動産投資の他、バイオやITといった新規な産業分野のベンチャー企業への投資に用いられました。こうして1990年代、米国ではIT産業が急速に発達します。

 

特許制度に関する動向

1980年代後半から1990年代前半にかけて、米国で特許発明を製品化していない特許権者が、特許発明を製品化する事業会社から特許権侵害に対する賠償金や特許権を実施する実施料(ライセンス料)を得る事例が出てきます。1990年代は、このように特許発明を事業化することなく特許権を保有しているだけの特許権者(Non-Practicing Entity :NPE)による権利行使が米国で活発化していく時代です。

1990年代米国で金融工学が発達する中、特許権が「活用」される場が実体経済の世界から金融経済の世界に移行し、特許権がレバレッジを効かせてカネ儲けをするツールとして使用され始めたのです。ただし1990年代はまだNPEは組織化は進んではおらず、米国でNPEの数、組織化、業態が発展していくのは2000年代以降となります。

この時代の日本はバブル崩壊後の経済停滞に苦しむ中、1980年代後半から前半にかけて米国企業が日本企業を相手に特許権を「活用」して多額の「収益」を上げる一方、日本企業は膨大な特許権を持ちつつも有効な対抗策を講じきれなかったことへの問題意識が生まれ始めます。そして1990年代半ば以降、日本企業は「特許権の活用」を検討し始める一方、政府(特許庁)の中にも低迷する経済をテコ入れする策としてプロパテント政策に注目する動きが出てきます。

 

事例

この時代、NPE的な特許権の活用事例が相次いで出現します。

最初に紹介するのが4期で紹介したハネウェルvsミノルタ訴訟終結後のハネウェルによるライセンス料の獲得活動。1992年、ミノルタに対する特許権侵害訴訟で勝訴判決を得たハネウェルは勝訴判決後、キヤノン、ニコン、オリンパス、ペンタックスといった日本企業に特許使用料を支払うよう要求し、多額の特許使用料(ライセンス料)を得ました。ハネウェルはもともとはミノルタやその他ライセンス徴収対象となった日本企業と競合するカメラメーカーでしたが、ミノルタ提訴時にはすでに事業から撤退していたそうです*1。すなわち、ハネウェルは事業撤退によって使用しなくなった「特許権」という資産を、「使用していない」ことを強みとして活用したと言え、ごく初期のNPE的特許権活用事例と位置づけられます。

次に紹介する事例がレメルソン氏が保有する特許権の「活用」事例です。レメルソン氏は米国の発明王で450件以上の特許を出願・取得したとされています*2レメルソン氏は、彼の特許権の「価値」に気がついた弁護士のホイジャー氏と組み、レメルソン氏が保有する特許発明を実施する事業会社からライセンス料を得ることで、特許発明を製品化することなく数兆円といわれる巨万の富を得たと言われています。レメルソン氏とホイジャー弁護士は1980年代後半から自動車や家電メーカーなどにバーコードなどに関する「レメルソン特許」の使用料の支払いを求めていました。1992年、攻勢を強めたレメルソン氏に対し、日本の自動車メーカーなどが1億ドルを超える巨額の使用料を支払ったとされています。以降1990年代、レメルソン氏は次々に出願中の特許について権利を取得し、特許された発明を実施するライセンス料の支払いを求めていきます。レメルソン特許には当時の米国特許制度に起因する問題がありましたが、製品の製造販売差し止めを回避したいメーカー側はライセンス料を支払い、一説にはレメルソン氏はバーコード特許で1,500億円ものライセンス料を得たといわれています。

米国は伝統的に個人発明家を大切にしており、レメルソン氏以外にもこの時代、特許発明を事業化しない個人発明家が発明を実施する事業会社を相手に特許権を「行使」して収入を得る事例が出現しました(例えばセガ・エンタープライゼスが個人発明家ジョン・コイル氏に訴えられた事例など)。

そして3つ目の事例が1993年設立の米国のアカシアグループ*3。アカシアグループは、持株会社アカシア・リサーチCorp.の傘下に特許ライセンスなどを行うアカシア・リサーチグループLLCなどのグループ会社を有するグループ企業です。アカシアグループは、①自らは特許発明を製品化する事業を営まず、特許発明を実施する事業者から得るライセンス料などを収益源とし、②組織化されており、③金融業界の出身者が経営を担ってきた、という特徴を持ちます。②の「組織化されている」という点で1980年代後半から1990年代前半初期に登場したNPEの進化系と言え、1995年に参画し1995年からCEOを務めるライアン氏が元ベンチャーキャピタリストであり、知財(特許)を金融商品として扱う先駆者と位置づけられます。

 

※1:後藤弘茂のWeekly海外ニュース(http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970529/kaigai01.htm

※2:『レメルソン特許の衝撃』 産業開発機構株式会社「映像情報インダストリアル」1999年2月(http://www.eizojoho.co.jp/industrial/bn/i_pdf/9902remeruson.pdf)他、参照

※3:アカシアグループに関しては九州大学「海外の特許活用支援会社や知財ファンドの調査・研究」(http://imaq.kyushu-u.ac.jp/ja/data/report_material_22.pdf)が詳しくわかり易いです。

 

使われ方・果たした役割

この時代、米国では特許権は、特許された発明を製品化しない特許権者(NPE)の収益源として使われるようになります。

近代特許制度は、新規な発明をした人がその発明を創出して製品やサービスとして提供する事業化に要した資金を回収して新たな発明を創出する資金を確保できるよう、発明の独占を認めるものです。近代特許制度が誕生した15世紀以降、1980年代までは発明を創出した発明者は特許権を取得するとともに自ら特許発明を事業化することで収益を得、特許権は特許発明を実施する事業で利益を得るために使われてきました

しかし1980年代にプロパテント政策に転じて世界各国に先んじて「『特許活用』先進国」となった米国で、1990年代、特許権を活用する主体はNPEとなります。すなわち、特許となる発明を創出する発明者と特許発明を実施する事業者との間にNPEが介在し、NPEが特許権を「活用する」構造が出現します。このような構造の中で、発明者やNPEといった権利の保有者は特許権を「活用」して利益を得ることができる一方、特許発明を事業化する事業者は特許権を「活用」する利益を享受できないという事態が発生してきます。

特許権がNPEにより「活用」されるようになったこの時代の米国では、特許権は、特許発明を事業化する中で特許権を古典的に「活用」してきた多くの人々が気がつかぬうちに、特許発明を創出する発明者と特許発明を事業化する事業者とを分離する役割を果たすようになっていたのです。

 

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