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世界情勢

東欧諸国で共産主義体制が崩壊した1990年代に続く2000年代、経済のグローバル化が進む中で先進国経済は低成長を続ける一方、新興国経済は成長します。 特にBRICs諸国(Brazil, Russia, India and China) を構成する中国の成長は著しく、資源高の影響を受けた中東、アフリカ諸国でも経済が成長していきます。また、1990年代に先進国で普及したインターネット、PCの普及が2000年代は新興国、さらには発展途上国にも及んでいきます

このように先進国以外の国・地域で経済が発展し、市井の人々が様々な情報を入手できるようになりました。そのため国家権力が民意を抑え込む抑圧的な政治体制は維持することが難しくなり、従来民主制を採用しなかった国々でも民主化、すなわち民意への配慮が必要となってきます。新興国や資源国が経済力をつけ、自国の民意を留意しつつ国際社会に台頭してきたことにより、国際政治は多元化して多国間主義を必要とする中、IT、住宅バブルで経済好調な米国は単独主義を強めます。京都議定書からの離脱を宣言し、2001年同時多発テロ後にイラク戦争の開戦を強行した2000年代の米国は、好調な経済の陰で民主主義の理念を実現する国家としての世界からの信頼を失う一方、住宅バブルの末に2008年リーマン・ショックを引き起こすことで2000年代後半からは米国流市場原理主義(新自由主義)の問題点も顕在化してきます。

 

特許制度に関する動向

2000年代、米国ではNPEの組織化、多様化が進展します。2000年の時点では、知財関係者の間で認知されていたNPE(大学等の研究機関を除く)は米国でもせいぜい10社程度に過ぎませんでしたが、2011年で400社程度(米国Patent Freedom社調べ)、2013年には500以上が存在しているといわれています*1。2000年代、米国ではこのようにNPEによる「知財ビジネス」が活況を呈する一方、特許発明を事業化しないNPEが巨利を得ること、膨大な特許が存在する(特許の薮)といった第2次プロパテント政策が招いた問題もまた深刻さを増していきます。

深刻化する第2次プロパテント政策の弊害に対し、米国は2003年にはその是正に向けて動きます。具体的には、政府・行政が問題を孕む特許が成立しないよう特許法を改正したり日本を含む他国と審査連携等の協調を図り、司法はNPEによる権利行使を抑制する判決を出しました。このような2000年代序盤以降、現在までの米国は特許適正化時代にあるとされています。

一方、日本はこの時代、国家・行政によるプロパテント政策が本格化します。日本のプロパテント政策は2002年秋の小泉純一郎首相の「知財立国宣言」を端緒に本格化し、米国を模した知財ビジネス会社が設立されたり、特許権侵害訴訟が増えるといった動きがみられました。しかし知財立国宣言から10年を経ずして、2000年代初めに設立され注目された知財ビジネス会社の多くが消滅し、特許権侵害訴訟を提起することにより特許権者が得られるメリットも期待されたほどのものではないとの認識が広まりました。知財立国宣言から10年を経た2012年以降のこの数年は、2000年代以降の日本のプロパテント政策を不発と捉え、プロパテント政策が米国のように興隆しなかった原因を探る動きがみられます。

 

※1:ヘンリー幸田『なぜ、日本の知財は儲からない』2013年

 

事例

この時代、米国で多様化したNPEが様々な知財ビジネスを展開します。

この時代に注目を集めたNPEとして2000年に米国で設立されたIntellectual Ventures(IV)があります。IVは投資家から集めた資金を使って多数の特許権を取得し、保有する特許権の保護対象である発明を実施する事業体に特許権を売却したりライセンスしたりして収益を上げ、発明者や投資家に利益還元するビジネスを展開しています。IVのビジネスモデルは自らは特許発明を実施しない特許権者でありながら特許発明の実施者から特許権取得コストを上回る収益を上げて利ザヤを稼ぐというものです。このようにIVは、特許発明を実施する側よりは特許発明を創り出す側を利する立ち位置を取り、そのビジネスモデルや立ち位置は、1980年代に登場し1990年代に活発化していった初期のNPEと同じで、5期の事例として取り上げたアカシアグループの同類と位置づけられます。

このように発明者側に立って利益を得るNPE(攻撃的パテントアグリゲータ―:PA)に対し、特許発明を実施する側に立って特許権を保有したりライセンスする事業体が出現します。攻撃型PAによる「特許権の行使」に対抗するために構成された事業体(防衛型PA)としては2008年に元IVの副社長が米国で設立したRPXが有名です。また特許発明の円滑な実施と発明者の利益確保の両立を促進するパテントプールの形成・運営を手掛ける団体は2000年代以前から存在していましたが2000年代になって存在感を高め、新たなパテントプールの設立も相次ぎました。パテントプール運営団体としては1996年設立のMPEG Licensing Administrator(MPEG LA)や2006年に日本で設立されたアルダージなどが有名です。

さらに2000年代には発明者側に立つPAと実施者を守るPAという2軸の中間に位置づけられ中立的立場で特許権の売買取引を仲介する事業体も出現します。このような仲介者の中で初期に登場したのは2003年に米国で設立され特許のオークションビジネスを看板としたOcean Tomo(OT)があり、近年では2014年に米国に拠点を置くIPXIが世界初の特許の使用権(ライセンス)取引所の運営を始めました。ただしOT社の特許オークション部門は売却され、IPXIも2015年に早々にサービスを中止しており、仲介ビジネスはまだ軌道に乗ったビジネスにはなっていません。

 

このように米国を中心に知財ビジネスが活況を呈する中、特許発明を実施する事業会社同士の特許戦争「スマートフォン特許戦争」が勃発します。スマホ特許戦争は世界中にスマホブームを巻き起こしたApple社のiPhoneが2007年に米国で発売された2年後、スマホ市場が急伸する中で始まります。具体的には2009年、スマホ市場の先駆者でありながらAppleに押されるNokiaがAppleを訴えて始まります。2010年にはスマホ市場を牽引するiPhone用OS・iOSに対抗するOSとしてGoogleが提供したAndroidを採用したAndroid陣営の台湾・HTCをApple社が訴えます。続く2011年、Android端末の販売数がiOS端末の販売数を上回る中、iPhoneと外観が類似するGalaxyを発売してスマホ市場で成長する韓国・SamsungをApple社が特許権侵害で訴え、スマホ戦争は世界中の注目を集めつつ泥沼化していきます。

 

OSベースのスマホ市場シェアとスマホ特許戦争

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Apple対サムスンのスマホ特許戦争は日米欧(英独仏他)を含む世界各国で繰り広げら れ、2012~2014年に順次、裁判所の判断が出されました 。訴訟対象となった製品や知的財産権は国ごとに違い、裁判所の判断も国や訴訟対象の製品や権利によって異っていますが※1 、素人目にはどちらが勝ったかよくわかりません。

 

※1:各国での訴訟の概要や裁判所の判断は弁護士・諏訪公一さんのコラム「アップル対サムスン:世界各地の特許戦争の現状をざっくり整理!~2014年7月版~」http://www.kottolaw.com/column/000830.htmlが詳しいのでご興味のある方はこちらをご覧ください。

 

使われ方・果たした役割

2000年代、特許制度は「頭脳」を元手として経済社会で流通する資産を創り出す制度と目されるようになりました。この時代日本が本格的にプロパテント政策を採用する中で特許制度は「発明を創作して事業化する者が模倣を排して競争優位に立つ」ことを助ける制度と喧伝されました。しかし2000年代、特許制度は特許発明を事業化する事業者同士の闘いにおいて1980年代のように先行者に明確な勝利を与えていません

例えばAppleのiPhoneは故スティーブ・ジョブズ氏の強いこだわりがあって誕生した製品です。操作ボタンがなく、凹凸を極限まで排除した鏡面のように平ら滑らかな操作面が本体表面のほぼ全体に拡がり、操作ボタンの代わりに操作面にアイコンを配置して操作するデザインと機能とはそれまでのスマートフォンにはない特徴で、従来のスマートフォンとは全く違う革新的な製品として世界中の注目を集めました。そして、iPhoneが発表されたあと、競業者はこぞってiPhoneの独自性を際立たせた特徴を持つスマホを発売しています。下の図はiPhoneとiPhoneが登場する前後に発売されたSamsungのスマートフォンとを並べたものです。iPhoneが発表されて約1年後~新製品を投入するために必要なおそらく最短時間~後に発売されたSamsunのF700はスライド式ではありますが、それ以前のSamsung携帯の特徴を捨ててiPhoneに似た外観を備えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

技術や機能より製品コンセプトやデザインが製品を差別化する要素として顧客に訴えかける力が強くなる中、 iPhoneと同じようなイメージのスマホは、従前のスマホのイメージを覆したiPhoneという「発明」の模倣のように感じるのが一般的な感覚でしょう。実際、SamsungのF700についてはiPhoneのコピーではないのかという声が出ました※2。しかし、現行特許制度、知的財産制度の下では、iPhoneと同じようなイメージのスマホは必ずしもiPhoneに関して取得された特許権をはじめとする知的財産権を侵害するものではないのです。

 

※2:http://www.idownloadblog.com/2012/08/01/poll-original-iphone-vs-samsung-f700/

 

特許権を鉄砲に喩えれば、1980年代は鉄砲を持ち使いこなす者自体が少なく、鉄砲を持ち適切に使いさえすれば、市場という戦場で勝利を収めることができました。しかし、30年を経て誰しもが鉄砲を持ち、さらに市場という戦場での戦闘は知的財産権という鉄砲を法廷という地上面で撃ち合う地上戦では決着がつき難くなり、販売戦略や事業戦略といった次元の異なるいわば空中戦での勝負になっています。

工業技術を保護対象とし、工業の時代の産業の発達を支えた特許制度は工業技術が産業発達を促進しづらくなる中、産業発達を促進する役割を果たせなくなり、代わりに発達する金融経済の中で錬金術の「賢者の石」を創り出す仕組みに変じたようにも見えます。

 

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